素敵に暮らす 住まいの作り方

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東北地方太平洋沖地震

大変なことが起きてしまいました。
昨日は、自宅のキッチンのリフォームで、あすなろ建築工房さんが
背面キャビネットの据え付け工事をしに来ていたので、家にいました。

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実は以前の食器棚が硝子戸の開き扉だったので、
「地震が来たら食器が割れるなあ・・・・。」と思い、
引き出しと、開き扉には耐震ラッチをつけた食器棚に替えたのでした。
               (この記事は又、今度書きます。)

その工事中の地震でした・・・。

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実は私は茨城県北茨城市の出身で、両親の家は海沿いにあります。
地震直後に携帯をかけた私の「大丈夫?けがは?」という問いかけに
「それが、塀が全部倒れたみたいなの。揺れが凄くて・・・。」という母の声。

「全部!?家は?おとうさんは・・・」という会話の途中でサイレンが聞こえ
電話が切れてしまいました。

すぐに、「早く高いところに逃げて!」という、
肝心なことを伝えなかったことを後悔しました。
それから電話は家も、携帯も繋がらず、
「どうにかして、逃げてほしい。津波が来ませんように・・・。」と祈るばかりでした。

父の実家は気仙沼です。報道を見ながら
見慣れた光景の変わり果てる様子に愕然としてとしています。
叔父や叔母、いとこたち家族がとにかく無事でいてくれることを祈るばかりです。

報道ではいわき市の大変な惨事も伝えられています。
高校はいわきに通いましたので、
いわきには友人やお世話になった先生、その家族の方々がたくさん住んでいます。

とにかく皆、無事でいてほしい・・・。

夜になって7駅離れた学校に通う高校生の息子が帰ってきました。
1時間半程歩いたようですが、災害班で固まり、中学生達と一緒に帰ってきたそうです。

娘は東京駅に近いアルバイト先にいました。
電車が止まってしまったので、動かずにそのまま居させてもらうことに。
娘の携帯とは会話ができたので、時々連絡を取り合いましたが、
安全な居場所が分かっていたので安心でした。
動いた電車に乗りついで、今朝6時半ごろ家に帰ってきました。
都市計画をやりたいという娘には、この経験を役立てて欲しいと願います。

夫はその日は車で仕事に出かけていましたが、
渋滞にはまりながら、近くの彼の実家に寄り、
両親の無事を確認して帰って来た時には、12時をとうに過ぎていました。

茨城の両親は今朝になって、無事に避難していたことがわかり、
本当にほっとしましたが、高齢の両親を思うと飛んでいきたい気持ちです。

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今日は、秋元と手分けをして
アトリエサラのお客様に朝から電話をかけました。

秋元の実家は釜石。
お母さんとも、親戚も、誰ともまだ連絡がついていません・・・。

お電話に出てられた皆さんは、概ね、
「揺れも大したこともなく安心でした。」とおしゃっていました。

地盤がよくない土地でも地盤改良をなさった方は
あまり揺れを感じなかった、という話でした。

リフォームの時に基礎の耐震補強をしたお客様も、
建て物の足元を固めて壁の量を増やしたので、
今回の地震で、十分その効果を感じられたということも聞けました。

習志野のお客様は、玄関先に少し液状化の現象がある、というので心配です。
長野も結構揺れたようです。

福島、茨城のお客様で連絡が取れない方々がいて心配です。
また東京のお客様で、東北に旅行中だという方がいます。
「とにかくご無事でいてください。」と祈るばかりです。

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テレビで被害の現状を見ながら、
建築に携わる人間として、既存住宅の耐震性能の在り方や、
停電になると暖も連絡も取れなくなってしまう、
(ファックス付きでない電話は繋がるようです。)
供給電気に頼る私たちの、今の生活の脆弱さも感じました。

ただ、これだけの津波に備えるにはどうしたらいいのだろう・・・。

亡くなった方や行方不明の方、家や家族を失った方々のことを思うと、
胸が張り裂けそうです。
私にできることを考えなければ、・・と思います。

とにかく一人でも尊い命が助けられますように・・・。
お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。


 


この記事は13日に書き加えています。

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